母の入院している病院が近くて本当によかった。
行くとすぐ手を出して握ってくる。帰るまでずっと。そのまま寝てしまうこともある。そっと手を離し帰る。
ここにいるよ。ずっとここでいいよ。ここで静かにしているよ。ここにいれば大丈夫。
家にいた時よりずっと穏やかで、なんだか家に戻らない方が幸せかもと思えてしまう。
この病院は看護が手厚いからみなさんが母にとても優しいから母も穏やかなのかな。
14日に入院して、2週間くらいで退院できると言われていたが
多分家に戻ってくるのは来月の半ばくらいになるだろうか。
ケアマネさん、担当の看護師さん、理学療法士さん、統括の看護師さん(?)と私で最初のカンファレンス。
再来週は訪問診療の方と2回目カンファレンスがあるそうで、それが終わって諸々の準備が整わないと退院にならないそうだ。
入院前は立位保持ができなくなっていた母、座位も保持できなかった頭が後ろか左右にどんどん倒れてしまって、寝た状態から座ることもできなかったが、入院4日目くらいに車椅子に短い時間なら座っていられるようになった。(嬉)リハビリの様子を見せてもらったが、理学療法士さんが良い意味で「鬼」だった。私にはできない指導。参考になりました。
座ってご飯が食べられるようになったら嬉しい。
ただ年齢も考えてもうそれほどは回復しないし、家だとご家族だけだから頑張らなくなるだろうからと、みなさん一致で、在宅診療、在宅看護、在宅入浴、在宅リハビリと家の中で完結するような今後の計画にしましょうということになった。
ベッドも褥瘡予防できるマットと動作(波打ったりするらしい)を手配してくれるそうだ。
コロナの時も今回も担当のケアマネさんには大変感謝している。今回は何日かの病院診察へ連れて行くのに何度も母をお姫様抱っこして階段を降りて、終わったら待っててくれて階段上がってくれた。(腰が大丈夫か心配だ)
そして入院している病院は初めてかかった病院だったがそんなにサポートしてくれるの?と驚くばかり。ここ10年くらいで地域包括医療体制がいろいろ変わったらしい。ここの病院は在宅医療と介護の連携が取れているから、整形と内科の診察を受けよう、多分この状態なら安定するまで入院、そうすると在宅診療までの流ればスムーズになると思うケアマネさんの予想がそのままになった。この先母をどうサポートするか予想できなかったのでありがたかった。
母の住処の居室の今まで使っていたベッドを片付けて、帰りを待っている。お正月は家で過ごせますように。
2004年の今日、朝起きて階下に降りたら、母が廊下に倒れていたのだった。
15日に入院した母、入院時は熱もあってボーッとしていて、昨日もあまり会話にならなかったけれど、今日は顔色もよくて口調もしっかりしていた。(話す内容は時々ズレていたけど)
点滴はずっと入っている、肺炎の抗生剤か栄養剤か両方かな。。
家に帰って生活できる方法をいろいろ考えている。
ごめんね。早く家に帰りたいよね? と聞いたら、即「うん」と言うかと思ったら
脚が痛くないなら、ここでもいい。ずっと。
と。
入院時1週間前からずっと訴えていた切ってしまいたいくらいの脚の痛み脳外科でも無整形外科でも左側全部レントゲンを撮ってもらったが特に骨折とかはないから、脳からくる痛み?のようなものらしい。
痛み止めを処方してもらっていたのか効いているみたいで、
ここに来てから痛みがなくなった
そうだ。
痛みがないのは本当に嬉しいらしい。退院後もずっと処方してくれるのかな。
主治医の内科ドクター
治療と並行してリハビリもするけれど、また立てるようになるかは分からない。寝たきりになってもずっと家で見られるか、入院中に考える必要があるかもしれない。
入院を勧めてくれた看護師さんが面談室を出た後、追いかけて来て
入院している間、少し休みをとってね。娘さんの人生や生活があるからね。自分の人生を考えて、ね。
と声をかけてくれた。
母に呼ばれて
どうしたの?
と聞くと、
今テレビを見てたら、
他の国では男の人が働くんだって!
と興奮ぎみに教えてくれた。
??
と思ったが、母は1人でずっと働いて私達を育てたから、
日本は女の人が働いて家族を養う制度
とに変換されてることが判明。
いやあなたは本当に長い間よく頑張りました。うん。
でも日本も男の人も働いてるよ!
と伝えたら、
えええー!いつから?
ずっとだよー。
これもわすれちゃうかな。
今月のフラワーはこんな感じ。
この月に一度のディサービスのフラワーアレンジメントアクティビティと週に一度のお買い物アクティビティは母が楽しみにしているのでとてもありがたい。先週はフルーツの盛り合わせセットを「お土産」と買ってきてくれた。
フルーツ美味しかった!ありがとう!
お花綺麗だね。やっぱりお花があるといいね!
とか沢山感謝して褒められる。それがよい。
半年に一度のペースメーカーの定期検査も問題なし。
あと15年は交換不要とのこと、母87才、15年後の交換。。。
今は拍動3回に1回のペースメーカーが働いているそうだ。
ドクターは「3回に1回しか助けてないよ。」と言ったのだけど、私は3回に1回も助けが必要な状態なのね。と思った。
コロナに罹った後、その前の状態にはやっぱり戻りきれなくて、最近は真っ直ぐ座れななってきていて、体が左側にだんだん倒れていってしまう。心臓に届いたリードを確認するレントゲンを撮るときもそうだったらしく、レントゲン写真の母の体が斜めになって写っていた。。
寝ている状態から座る、座った状態から横になる も難しくなってきている。こうして衰えていくのか、というのを認めたくなくてまだ大丈夫、大丈夫と言い聞かせてみたり、もう解放されてもいいんじゃないかと思ったりもする今日この頃。
母の介護度は1つ上がって4になった。
。。コロナ感染の後だからかもで、またしばらくしたら改善すると良いけれど。
私の左足は95%は良くなったが、微妙な角度にすると痛みがピリッと走る。老化で治りが遅いのだろうなぁ。
友人からもらった桃が香りが良くて甘く美味しくて、スーパーで買う桃と全然違うね!と感想を伝えたら
ぴ〜一番
という名前の桃なんだそう。
。。初めて聞いた。。そのネーミング何故?
ピーチで一番美味しいって意味かな? 確かに美味しかった!許す! <=上から
ぴー一番の特徴は?
果皮は鮮やかな紅色。 果肉は緻密で繊維を感じず、果汁がとても豊富な品種です。 酸味が少ないので強い甘みを感じます。 なつっこ「川中島白桃」と「あかつき」の掛け合わせで、両者の「果肉の緻密さ」「果汁の豊富さ」という優れた部分を受け継いだ品種です。
ブランドすもももブランド桃も美味しすぎる!日本の農家さんの努力すごい!!
6月は一家でコロナ感染であった。
家人 => 私 => 母
見事な時間差攻撃であった。
私の症状がピークの発症2日目、義母から
お誕生日は明日だけど週末から来週まで山に行くのでプレゼントは来週送るね!
とバースディ電話があったのだが、そんな状況だったのでヘロヘロな声で対応したところ
翌々日、義母から宅急便が届き手作りの煮物たちやらゼリーやらお菓子などなど愛満載の宅急便が届く。
87歳、母と同じ年の義母、凄すぎる。。達筆の手紙にも感謝。
悪寒と発熱が出た日から3日間くらい食欲0で水しか飲んでなくて、弱った胃腸に手作りゼリーが染み入りました。
そんな私に世話をされている母が感染しないわけないということで、次に母が発症。
も私は外出禁止中で買い物に行けずなので、先に外出許可日数を超えた家人にコンビニご飯などを買ってきてもらったりしていたところに、救世主Bちゃんが差し切れ持ってきてくれた。そのまま食べられるものばかり。分かってるね。さすが(嬉!)
このスイカが本当に本当に本当に(3回くらい言いたい!)美味しくて、家人と2人これまでの人生で食べたスイカの中で一番美味しい!と叫んだ。
あまりに美味しくて、翌々週同じブランドのスイカを1玉買ったが、このスイカの美味しさは超えられなかったよ。何故だ!コロナマジックか!
最後に感染した母はかなり弱って、久しぶりに私もオロオロしてしまったが、Bちゃんがパルスオキシメータを届けてくれたのをチェックしつつ、その結果を共有したケアマネさんやご近所に住む母とも仲良しだった看護師さんがこまめにアドバイスをしてくれたので、解熱剤と咳止めと在宅療養でようやく罹患前の60-80%くらいまで回復。
デイサービスも利用できるようになった。ので私も一息つけるようになった。。
家人と私は2-3日でほぼ回復したが(私は階段落ちして違うところが長引いてるが)
やっぱり母は完全回復するのに時間がかかっている。食が細くなってまた一回り小さくなった。
先週、お世話になったご近所の看護婦さんが様子を見に来てくれて、本当にここ数週でものすごく増えてて、この患者さんはコロナなんだろうなぁという人も検査はしない人が多いと言っていた。多分報道されているよりずっとたくさんの人が今感染してると思うよ。とのこと。
母に呼ばれて普段のように3Fから2Fの階段を急いで降りて最後の段を踏んだ瞬間
段無くなった
という認識しかない。
次の瞬間左足の甲を下にして倒れた。
左足首下から全体が痛い(そりゃ痛い)
左足をそろそろと足の裏を下にして定位置に戻す。痛いけど折れてなさそう(一安心)
立てるかな?立てた!(痛いが)
歩けるかな?歩けた!(痛いが)
夜腫れた(そうなるな)
それから1週間、左の足の甲やら指やらが青紫色になり
歩くときは左足をかばってヒョコヒョコ、階段も一段ずつ右足からの後左足を揃えて降りる。 <=イマココ
やれやれ。
母の介助の時、いててて。
ぎっくり腰、コロナの熱、足捻挫(軽くヒビ?)。
何もない健康状態の時ってほんと素晴らしいをまたしても痛感。
早く普通に歩けるようになりますように。
お墓参りで再会できた魚屋さんの奥様からミートソースを頂いて以来、ちょこちょこ電話を頂いて
都合のいい時に取りにおいでー♪
と、美味しいものを頂いている。
私は大体5時くらいに起床で魚屋さんもそうだと分かってから早朝連絡をいただく。家の2人はまだ夢の中^^なので、
お母さん寝てる間だから、大丈夫だね。と心遣いを頂いている。
これまでも美味しいお菓子屋、ヒラマサのお刺身、ぶり、マグロのカマ、うどん、ほうとう、などなど諸々頂いている(ばかりな)のだが、(あ、冬の間、これ暖かいからお母さんにと羽毛のフアフアのベストも母にと頂いた、ふあふあのほこほこ。)
今朝はマグロのはらもの醤油漬け(真空パック)であった。沢山。レシピも。手ぶらでごめんなさい。。
そしていつももれなく巨大なわさびもおまけに付いている。巨大、びっくりわさび。いつも20cmは超える大きさである。
ご親戚がわさび屋さんで今はもうご商売は辞められているけれどわさび田はまだ残っているそうで、定期的にわさびが届くそうな。
美味しく頂いてます。もちろんお刺身によし。そして、わさび丼つくり放題です!
このところの近況をお互い話して、家に戻ってもまだ我が家の2人は夢の中。^^
早起き、よき。
かな。
*夕飯にマグロステーキに自家製タルタル、うまし。
そういえば3年前に作った無糖梅酒ってどうなってんだろ?
とふと思い出し飲んでみることにした。
家人が梅酒は砂糖が多すぎる!無糖で作ってくれ!
というのでアホみたいに青梅があったので、作ってみたのだった。
砂糖入りの梅酒も当然作ってある。一昨年はアホみたいに青梅があったので、カリカリ梅やら、柴漬けやら、あれこれ作り、砂糖入り梅酒は作って一ヶ月くらいで味見したらもう美味しくなっていた。まだ大量にある。生涯飲みきれなくらいいあるかも。。
で、無糖梅酒に戻るが、作った時にネットで調べたら、飲めるようになるまで3年ぐらいかかると書いてあったのを思い出したのだ。3年ぐらい経たないと
飲めたもんじゃない!!
と書いてあったので、「飲めたもんじゃない!!」のか。。と正直全然期待してなかったのだけど、蓋を開けたらよい香り、あらあらあら、なんとすごく美味しくなっているではないか。びっくり!砂糖入りよりスッキリでそれもよし。。。あ、飲み比べました。
そして家人に「おいしくなってたよ」と飲ませたところ!!!
これ、砂糖なしなんだよね。これで、よし!うちは今年から毎年この梅酒を作ろう!
ああ、はい。いつものやつね。^^
そういえば、それそれ梅シーズンか。去年はいろいろあって作れなかたけれど、今年は梅干しもちょっと作りたいなぁ。