違う人になっちゃう度合いが短くなっているけれど、時々ヘコタレルけど、
まさごが喜ぶから作ったのよ
とか言われるとあちゃー嬉しい。
離れたところにいる高校時代の友人から電話をもらって話す。メッセージのやりとりはしているけれど、直接話すのは1年ぶりくらいかも。お正月もコロナのことがあるから職業柄もあって帰って来ないそうだ。帰っても友人とかにも逢えないしねぇ。そうだね。ほんとコロナめ!
ずっと血圧が110超えたことなかったのに、今年の健康診断で130超えた!
って!それ、私と一緒じゃないか!
やっぱりこれって加齢による血圧上昇現象なのね。とほほほ。
それでも、それ以外は元気でやってるよ!
だそうなので、一安心。
ありがとう。
友人の葬儀に行けないって。
色々調整とかお願いとか打診とかしてみたが
私が県外に出たら、2週間、母はデイサービスは無理。母の通常受診も無理だった。。。
それでも参列して欲しいと多分私の友人は望まないだろう。と思う。
東北の友人も同状態。新幹線乗ったら諸々アウトと。
大丈夫任せて!と
関東在住友人たちが頼もしくて、諸々感謝しかない。
いよいよオープンまで残り5日。
木曜日の出勤デーに様子だけ見に行こうと思っている。あわよくば。。。無理か。
今日はサイトにイートインの席の写真が上がっていた。それだけでテンション上がる。
以前Bちゃんと一緒に行った時に食べたオリーブのパンのサンドイッチをテラス席で食べながら珈琲を飲みたいな。
母が「わけわからない状態」せん妄状態になるのは脳梗塞を発症後からしばしばあった。
が、おとといのそれは初の感じだった。いつも突然起こるけれど、おとといもディサービスから帰ってきて、今日ディサービスであった話をして、相撲見る!とニコニコ相撲を見てた。その間に私は母の夕飯の下拵えをして、ご飯前にトイレ誘導をしようと思って母の居室に行くとその状態になっていた。
細かい描写は省くけれど、思いがけない場所にいて、思いがけない行動をしていて、私の声も届かず、私が触ることも嫌がり、なんとかベッドに座る状態にしたとところ、何かを叫び出し、私に殴りかかり、びっくりした私がバランスを崩し倒れたところに蹴りをなんども入れてきた。。。
私が床に倒れた音で家人が降りてきて、別人になった母が何度も私を蹴っている姿を見せることになってしまった。。。切ない。
夕ご飯食べてないんだよ。。。まだ。
いや、今日はもう距離を保った方がいいよ。絶対話しかけり、近寄ったらだめだ。このままそっとしておこう。
と言うのでこっそり様子は見に行くけれど、声はかけないようにした。姿も見せないようにした。そのうち母は眠った。
朝。(ずっと起きていた私)
起きたらなんて声をかけよう。どうしよう。とぐるぐるして寝てられなかった。
母、10時過ぎに、起きた。
私を見て母「おはよう。ごめーん」
私。ドキドキする。悪いことをしたと思っている?
「。。。昨日どうしたの?」
と聞く。
??????
「寝坊しちゃったみたいだから。ごめん。」
「お母さん。昨日のこと、覚えてる?」
????
。。。全く覚えてなかった。。1ミリも。どの一瞬も。
トイレ誘導ができなかったので色々ひどい事になってしまったが、覚えてない事に驚きと安堵と不安と複雑な気持ちはむしろ後片付けで気が紛れるぐらい。
今日は脳外科の診察日。タイミングよくCT検査の日でもあった。予約してあったインフルエンザの予防接種も。
母のCT検査の間に事情をドクタに話すと脳の写真もよく見てくれて、でも脳には変化がないそうだ。(安心)。
せん妄で良かった。
せん妄で暴力的になることもあることは知っていたが、母にはこれまではなかった。
と思ったが、
床に大の字で倒れていた時にも起きていたのかもしれない。
私が買い物に行ったり、3Fで仕事をしたりしている時に突発でアレが起きて、それで思いがけない場所に倒れて、私が見つけた時には終わって
なぜこうなったのか、わからないの。
になっていたのかも。。。
解けて嬉しくない謎。
憎々しげに嬉々として私を蹴っている母の姿を思い出すと辛い。
私が何か別のものに見ていたのだろう。母の見ている世界。現実。
理解できないけれど、。。。寄り添える余裕や寛容さが欲しい。
これからこういうことの頻度が高くなるかもしれないねと家人がいう。危険なもの(ハサミとかドライバー)を手の届かないところに隠した方がいいかなと話しあう。
結構な年月見守っているがまだまだ未知なることが起きる。脳。不思議。
野菜を買わせてもらっているTさんやご近所さんやら知人から柿をいただきまたもや柿天国。柿ポタージュやら柿ジャムやら柿カップケーキやら、なますやら、かき揚げやら、例年通り柿づくしメニュー祭り。昔は柿などに興味がなかった家人であるが、今年の柿は主に家人の知り合いのTさんの柿のせいか私があれこれ作るのを面白がっている。多分次回会った時のネタにしているのだろう。そのTさんの今週のパンはナン(先週はクロワッサン、来週は無花果とくるみのパンダそう)だったから、野菜の中の小松菜があったのでネットで調べてグリーンカレーを作って(自家製カレースパイスで)みたらすごく美味しくて、ネットレシピに感謝。
そうそう。流行りの鬼のアニメも家人と配信サービスで毎晩の楽しみで少しずつ見た。続きの映画も見に行きたいけれど、映画館にはやっぱり行く気はしない。有料ネット配信してくれればいいのにな。できるのにね。もうう映画はどこで観るか選べる方がいいのに。映画館というのは怖い。やっぱり。大抵の感染映画ドラマで死亡フラグのイメージで。コロナは自分が感染することよりも母や母の利用させてもらっている介護施設への感染源になることをいつも考えてしまう。
母の好きな相撲シーズンが始まった。今日からだね。うんでも横綱が出ないからつまらないのよと母が言う。ふむふむ。そうなのねーと話した、朝。数時間後15時にそろそろねーと言うと、相撲?と母がキョトンとする。さっき話した話が幻となる。明日はまた繋がるかな。母はまだ繋がる時間が長いから、よかった。すごく冴えてる時間も沢山ある。もう長年の経験で日々の下の粗相はシステムイッシュで流せるけれどまだこういう認知的なことにあああ!とガッカリ思ってしまう自分がいる。実の娘介護あるあるなのかも。これは自分の気分次第だから母のまだらと同系統だよなとも思う。
出版のことで某所からお話を頂く。以前PHPの本を出版させて頂いた某編集長さんからも時々連絡配慮頂いていて、もしまたタイミング合えば、そこであれとこれをアウトプットしてみたいと言う内容のものもあるのだけど、今ではないのかな。またもしもの時があってその時は。と丁寧に調べるモチベーションになるので本業の仕事をする上でプラスになっている。
今年も半年以上楽しませてくれたコキアもすっかり茶色になったので冬の花と入れ替えることにした。
その際、春に野菜倉庫の隅で忘れ去られた産直で買った山芋の芽が長く出てしまっていたものを我が家で一番深い例年ゴーヤを植えているプランターに植えてみたところあれよあれよと成長し、あちこちにに蔓を伸ばし、水を大してあげなくてもどんどん広がって行く姿に「さすが山芋」と変な感心をしつつ見守って(放置?)いたのだがそれも片付けることにした。蔓を切って回収してビニール袋にどんどん入れて行く。そしてようやく後は土だけだと思って園芸スコップを指して根を切ろうとしても刺さらないほどびっしりとプランタの土の巣のように根張り巡らされていて、エイヤーと引っ張ると、プランターの中敷をも絡めて土がそのままプランターの形で持ち上がったなんとか根の土を落としつつ根の巣を解体していくと中心に。。。あれ???芋が。。。
ということで思いがけず、山芋収穫。芋掘り。お家プランターでもできるのね。
これ収穫した!
と母と家人に見せると。。。いつの間に育てていたのかとびっくりされた。掘った私もびっくりしたんだよ。と。
当たり前だけど、食べても普通に山芋。
芽が出すぎた山芋、植えてよかった。
紅葉してるか見に行くか!ということで隣町の市民公園を散策。紅葉はまだでした。