どん!
とセンターにメインの花がいるのが、母流!
お彼岸で帰省している高校時代の友人たちにも会えて嬉しかった。次はお正月?
例年お彼岸初日いつもの和菓子屋さんに注文していた団子を早朝(6時くらい)取りに行き(ご近所さんの分と都合で早朝なのだ)、届けて、その足でお墓に向かう。
ありがたいことに、我が家のお墓も家人の祖父母のお墓も徒歩20分圏内なので、いつも入りの早朝に行く。
我が家のお墓に行き諸々して、母の心が平和でありますようにとご先祖に願う。私の心の平和のためにね。
この1年?どなたかが時折花やら小花を供えてくれている。誰なんだろう。私より早朝?お花はまだ元気だから。。
なんてことを考えつつ、雑草取りや掃除や線香やらを整えて帰路につく。
冷蔵庫が壊れて魚屋さんを閉店してしまった大好きだった魚屋さんのお墓も同じお寺さん、魚屋さんのいつもニコニコだった可愛いおばあちゃんが眠っているので、いつも足を止めてなむなむなむとしているのだが、今回は誰かがいた。
あ、魚屋さんの奥様!!!!
ずっと良くしていただいた!色々美味しいものをいただいた!プライベートの話もした!
ワーワー と思って声をかけようかあわあわしていたら、あちらも挙動不審の私に気付いて
あーーーーーーー!!!!
と、
久しぶりーーーーーーっ わー会えて嬉しい!!!!
と。なった。
冷蔵庫が壊れてなければずっと通い続けた魚屋さんだよ。魚屋さん難民だったよぅ。
と言うと。
私達が今、魚屋さん探してるよー笑
なんて。
しばしお互い近況報告して(多分私より少しお姉さん)、またね。今日会えて良かったー!!
と別れた。
4-5年ぶりかな。ほんと、偶然会えてよかった。元気で良かった!また会えるといいな!
そしたら、今日朝、早朝笑、電話がかかってきて、
ミートソース、と言う。
あのね、美味しくできてね、でもたくさん過ぎて、
この前会ったからもうついまさごちゃんを思い浮かべちゃってね。
食べてもらいたいから都合の良い時に取りに来れる?
って。^o^
嬉しさしかない。
嬉しさしかない。
ほんと。
ミートソース、頂きました!
美味しかった!(のはなるほどの理由だが割愛)。ミートソースだけでなく、なぜか他のオマケが色々と。
また繋がって嬉しいな。ほんとそれに尽きる。
猛暑で今年の栗は例年に比べて小ぶりなのだとか。でもその暑さが栗を甘くしたとテレビで言っていたので、産直で購入。
先日家人が頂いてきた栗は渋皮煮にしてしまったので追砂糖されているので本当の糖度はよくわからないから確かめてみなきゃ。<=誰も求めてないけど
産直には例年通り大きな栗もあったけど、小さい栗の編(300円)を購入。
栗栗坊主でくるくると栗を剥く。
家人が、「お!今日は栗ご飯か!」 年に一度は食べたいそうだ。
餅米のストックがないのでうるち米と半々に。炊飯器でね。今はネットにレシピがあるからいいねー。
栗だらけの栗ごはん。
栗は母が一番喜んでいた。 <=ご飯粒は残ってたけど栗は全て食べ切っていた。
栗を煮たからもう秋だが、恒例徳島の友人からスダチも届く、秋だねーと再確認 暑いけど。
写真入りのがっつり近況報告の手紙がいつも入っているのも嬉しい!
ちょうど家人が好きなミミガーの炒め物が夕飯にあったので早速使ったら、美味しさマシマシであった!ありがとう!
それからご近所のOさん宅に夕方おかずを届けに行ったら、2年前Oさんのご主人が他界した直後
お父さんが夢枕に立って、「駿河蘭を買ってきてくれ」というんだよ?どうしよう?
とOさんが途方に暮れていたので、近隣の種苗店に問い合わせをしてみたが取り扱いがなく、、市場にも聞いてみてくれたがこちらも無く、ネットを検索したらたった1件だけメルカリにあったので落札した駿河蘭!が2年越しに花が
咲いていた!
駿河蘭は夏に咲く珍しい蘭らしい。
おじさん!咲いたよ!!よかった!
あ!車がドナドナされたのは7月だったか。
その後は順調で、ありがたい。部品未来分も交換してよかった。一安心。
9月。産直に行ったら栗が出ていてびっくり。。。でもまだ小さいのに高いので買わない。
夕方、友人から「栗きんとん」が今日夕飯のデザートだった!とLINEがきて
秋!来たー!
と思っていたら、帰宅した家人が
「はい!お・み・や・げー」と栗8個。
わー。今日、栗の日だった。。。。じゃなくて秋なのね。こんなに暑くても。
栗ご飯にして!
とリクエスト。むむ。8個だとなー。
どうしよっか。
楽しいお悩み^^
(追記) 渋皮煮にした!
母のこと。最近のカンジ。
日中はホワーンとしている。テレビが親友。オオタニさん大好き!相撲も好き!テレビのお気に入りの番組があって見ているだけでもすごいことだ。
ニコニコしている。し。
さて、トイレに連れて行ったり、食卓に連れて行ったり、着替えさせたり、足を洗って薬を塗ってあげたり(爪水虫ちゃんが夏場猛威)すると
ありがとう、ありがとう。
と言ってくれる。
でも次の瞬間、何かのトリガーで?定期的の脳の発作?、分からないけれどスイッチオンみたいなカンジで激変する。言葉爆弾がすごい。時々手元の物も投げてくる。。
お、おおー 、そうなのか。。
と思う。暴力的になる、は高齢者あるあるみたいで、ネットがなければ情報がなければ結構凹む状態なのだろうけど、これはこうなるケースかと症例を見つけて安心する。
長く生きる、ことは大変なんだなぁと思う。。
私の愛車がドナドナ、されたのである。
信号待ちをしていたら、ガクガクガク となる。
ん?
気のせいか?普通に走ると問題ない。
でも次の信号待ちで、またエンジンがガクガクガク。
。。。なんだろうこれ? 昨日まで普通だったよ?
今日は家人がコロナ前以来の「飲み会」に行くので送っていくことになっているから後で聞いてみよう。
と思い、気にしないようにして、信号待ち10回くらい?
ガクガクガクガク。。。マシマシじゃないか!
ついに走っている時も違和感。なんか。。。止まりそう?いや、暴走しそう?怖!!!!
あれ?ダッシュボードパネルに見たことないマークが黄色く点滅してるじゃないか。。。
。。。こわ
とにかく家まで辿り着こう。いやその前にGSで見てもらった方が?
ということでいつも給油してもらっているGSになんとか止まらずたどり着いた。ふー。
いつもここで給油してる上に前日に満タンにしてもらってばかりの私がまた来たので、
どうしたの?。。。なんか車の動き変だよね?
と気づいてもらい(外からも分かるくらいなの?と再度びっくり)、挙動とダッシュボードパネルチェックしてくれて
うーーーん、これは、ここでは無理だからディーラーさんか修理屋さんに行った方がいいね。
とアドバイスをもらい、家の駐車場に移動。移動の時もブレーキ踏んで止まるたびにガクガクガク。怖い。
家の駐車場で、ディーラーさんに電話して、
これが表示されてと伝えると、レッカー搬送することになり、無事ディーラーさんへ運んでもらえました。ウチの子がドナドナされ連れ去られていく。。切ない。。もしや。。。これは廃車な故障?
昨日まで普通だったのに、母用に車椅子の出し入れできる後部座席、母が簡単に乗車できるようにの助手席回転シート付きの愛着あるこの車を手放す時期がきた?
はぁ。。(ため息)
Bちゃんに「何年目?」と聞かれて気づいた、あ、全然意識してなかった。。。でもずいぶん前に買った車だよ、そういえば。。
なんと2008年に購入してた。。
15年も経ってたのね。。。。びっくり、ほんと、全く不具合ない車で、見た目だって全然古びてない!(私目線ではね!)
そうか、まだまだ、ずっと乗り続けられると思ってたよ。
いよいよ、買い替えか。。。うむぅ
と思っていたレッカーから5時間後、ディーラーさんから電話があり、丁寧な詳細を説明していただき、
部品1本の交換だけで大丈夫ですよ。
とのこと。。。。そ、それだけでいいの?
ということで、よ、よかった。
とても気に入っている車なので手放したくなかった。手放さなくて済んでよかった。
新しい花壇に最初に入ったのはトルコキキョウちゃん。
6−7年前くらいに新規オープンしたお店で無料でもらってきた子だが何の世話もしてないのに毎年可愛く咲いてくれて感謝感謝。
そして、気がついたら誕生日であった。
アンタの誕生日だから豪華刺盛を注文しよう! <= あなたが食べたいだけだよね?
注文したけど。美味しかったけど。^ ^
美味しかったといえば、例年お誕生日に佐藤錦を友人が箱で送ってくれるのだが、ここ数年、
「今年のはイマイチ」「小粒だった」「甘さが足りない」
と友人が辛口だったのだが(私には十分美味しかったが)
今年のは友人も大絶賛! 「今年はいいよ!張りもあるし甘い!」
とのことで確かにとても美味しかった!今年は当たり年ってやつなのかも。
家人も食後の楽しみにしている! ありがとう!!
美味しいものつながりで、普段はリモートワークだけど出勤日のお楽しみで会社の近くのお米屋さんで「おにぎりセット」380円(おにぎり2個と唐揚と一口カツと漬物が入っている)を買って会社ランチにするのを楽しみにしている。お米屋さんのおにぎり美味しい。そしていろんな種類のおにぎりから選べるのも楽しい。
デザートに自家製お米のムースか水羊羹をプラスしたりしている。
噂ではここのかき氷が美味しいらしいがテイクアウトできないので、いずれトライしたいな。
攻撃的だった母はしばらく穏やかだったのだけど、夜、布団や体制の確認をしていたら寝ていた母が起きたと思ったらガツと私を睨み
お前なんかと一緒に暮らしたくない!!!!!
と。
。。。そ、そうか。
これは寝ぼけてるのだな。。。うん。分かってるよ。ハムパンか。
でも堪える。
根本ではいろいろ憎まれているんだなあと時々に思う。良かれと思ったことが全部裏目に出る。きっと母にとっては口うるさい娘なのだろう。うん。分かってるよ。放っておいたほうが幸せなのか、ウルセーと思われてもやりたい自己満足なのか分かってるよ。
Hがずっと世話してくれてる!
と私に言う。20年ずっと。
姉は特別なのだなぁ。母の計画では姉と義兄に縋りたかったのだろうな。本当は姉に面倒を見てもらうつもりだったもんね。何年も経ってもその願望は変わらないのね。。。
需要と供給は整わず。
。。。ま、私でいいにしておきなよ。と思うが、云うのも忍びない。フゥ。
そんだけ言うわけ元気だってことだ。
と家人。うん。
。。。アンタもそんな感じになりそうだよねー(ガハハハ)
。。。。それ、言いたかっただけだよね?!
まあ、そうなるよ。そうなったら、あとはよろしく、とにかく2人とも、長生きしてください。
今日は松崎に行こう!
と嬉しそう。松崎はチョコチョコ連れていかれる場所なので
なぜ?
と思ったら、
アサギマダラが来てるって。
アサギマダラナンデスカ? 呪文?
無知でごめん。渡り蝶だそう。2000km以上飛んだりするそうな。まじか?!
その蝶が今松崎のフジバカマ花壇に飛来してきているのだそう。
いました。あまり人を怖がらないみたいでたくさんのアサギマダラが周りをヒラヒラ飛んでくれます。ちょっと怖い。。。<=飛ぶものが苦手
しかしこんな頼りなさげなのに、そんなに飛ぶのねぇ。
さて帰ろうかと、車の中でアサギマダラをスマホで調べたら河津の海岸の方でもフジバカマを植えている植物園があってそこにもアサギマダラ飛来中と書いてあり、ついでに寄ろうということに。
ここ。絶景!海の見える絶景の花畑で蝶まみれ! 笑
なんと個人の方が作られている途中の植物園だそうで、伊豆を知り尽くしている(本人談)家人も知らなかったそう。
お天気も良く蝶につられてよい景色を発見、堪能できてよかった。
栗はご近所さんから数度頂いて栗御飯や栗おこわにした。栗うまし。
従兄弟の恒例の南魚沼の新米、
俺が元気なウチは毎年送るから叔母さん(母)にたくさん食べてもらえ!
とのことだったが、母はあまりお米を食べなくなっている。何故だ?家人と私がモリモリ食べているが。従兄弟よ。ごめん。
母の食は何かマイブーム?みたいな感じで、食べるものが偏っている。その時々で。今日喜んで食べていたものは3日後は放置みたいな感じ。難しい。。
今は肉じゃがと餃子は100%食べてくれる。ありがたい。
でも、もう、いい。食べたいものを食べてもらえればいい!!!<=栄養とか考えず
という境地になっている。どれか母が食べたらいいなと毎日いろんなものを作っている。ネットのレシピありがたやー。色々挑戦して。食べてくれたらラッキー<=これ大事。ご近所さんのOさんの分も含んでいて、2人がこの中のどれかを食べてくれたらいいか!といろんな種類のものを小分けできるお皿にオシャレに乗せてみている。
一期間、攻撃的だった母だが、この頃は気配迷走しつつも物が飛んで来たり、罵倒の言葉がなくなった。
が、朝晩?明るさ?が分からなくて、夜中に起きると妄想が全開になり、
多分昼夜の時間が狂っていて
どうしてこんな時間なのにご飯を食べさせてもらえないの? (悲しげに)
みたいな呼び出しブザーがなる。夜中の2時だとお昼ご飯食べてないと思うようだ。。
あのね。今まだ夜中だよ?ご飯は夜にたくさん食べていたよ^^
と言うと、先月は「嘘言うな!」みたいな憎しみの顔つきで口から罵倒がただ漏れだっただが
このところは
「え?!え?!」
と心底驚いている感じで、その後、「ああ。。。」となんとなく納得して、それ故に落胆する風情だ。
ウンウン、もうちょっと寝ようか?
と言うと素直に。うん。寝るね。と言う。。。悲しそう。
怒られるのも辛いけど、これはこれで切ない。
私がサポートできる限度の間はまだいけるから、お互いなんとかやっていこうよ。母。
気がつくと一月経っていて、驚く。
母は次のステージなのだろう。。。
攻撃的になった。
言葉も行動も。モノを投げつけられたり、驚くほどの妄想の怒りの言葉をぶつけられたり。
は辛い。
。。。もう違う世界を見ているのだなあと思う。
優しい心はもう探していない。「無」になることを心がけている。
気がついたらもう後半?
母の4回目の摂取完了。
夏場のお約束なのか、体がグニュグニュして座位も保てなくて、立つのもできず、1人で知らぬ間になんとか歩こうとして転倒転倒転倒転倒。8月だけで家のいろんな場所で転倒。
弱っている。母。
私も年々涙もろくなり、エグエグしてると家人が励ましてくれる。(すまん)
ケアマネさんに相談も増え、心配してなんども見に来てくれてありがたい。デイのスタッフの方にも感謝感謝。まだ家で過ごせるように皆さんにアドバイスと協力をもらって乗り越えている。
これまでも何回もあったことだから、また時間が解決してくれることを願う。(前は慌てて入院して検査ということになったが、このご時世では様子見の方が。。。ということで)
梅干しは全部終了。
冗談だよね?
と思ったが、また梅園に連れて行かれてた…
「もうそんなに残ってないですよね?」とスタッフの人に尋ねたら「まだまだ沢山あるよー」とのこと、。。そうですか。。。。まだまだ。。あるのか。。。。
前週より熟した実が多くなっていた。
5キロまでにしようね。。<=3キロは無理と悟った
収穫だけ楽しんで要らない分は計量所に置いていくこともできることを知ったので安心だ。ウンウン。
今まで行ったことの無い上の方の梅の木に良い実が沢山あったので大きくて傷のない綺麗な実だけゆっくりじっくり慌てず収穫のはずが、おかしい、、、いつの間にかまたカゴの半分ほどまで埋まってるではないか。。。<=この時点でもう5キロ超えている
最後に先週取った俺の木の梅、見に行こう!
と行ってみると「南高梅」の木に良い実が色づいてる。。。いかん。まずい予感しかない。
取るぞー!!
。。。だよね。取るよね。うん。これは取るよ。
いや、大丈夫、計量所に置いていけるからさ。
家人が道具を返しにいく間、計量すると8.7キロだった。あのー、5キロに減らして。。。と言おうと思ったら
「ありがとねー。もう今年も梅、終わりだから!、よし!おまけで追加して9キロにしてあげるね。でも値段は8キロ分でいいよー!!!ははは!」
と「まだまだ沢山あるよー」のスタッフのお兄さんが横の梅の箱から追加してワサっと梅の実をすくい、計量9キロにして(9.2と見えたような気がしたが気のせいだ。きっと気のせいだ)袋に入れて、袋の表面に8キロと書いてくれた。。。。
…..断れなかった。。
9キロの梅ちゃん。どうすんの?私。これ。
家人はもちろん大喜びだったから、いっか。(いいのか?)
1キロは青梅のまま、梅酒へ。今年は有糖バージョン。ヘタ取りはほぼ家人。
それから青梅でカリカリ梅を2キロ <=卵の殻でカリカリになるそうな。。楽しみ。
そして残りの6キロは追熟。再び。
90歳ぐらいになった時に「これはあの年の梅干しかー」と食べるのが楽しみだそうだ。(そんなに長生き予定なのか?)
とりあえず塩漬けは終了。2キロは赤シソバージョンにした。
あとは干すだけだ。。。。山のように干すだけだ。。。。
去年干した梅干しを食べながら家人が「美味いなぁ、これ去年俺が作った梅干しだよね?」(いやあなたはヘタ取りを手伝っただけだから)「今年も取るぞー!」(。。。やっぱり今年も取るのか。。。)
ということで梅狩りへ。去年8キロほど収穫して、大変だったから「今年は3キロまでね!」と念を押したのだが、計量したら9キロであった。。。が、友人が3キロほど買い取ってくれたので(ありがとう!)家に連れて帰ってきた青梅ちゃんは6キロ。よしこれなら楽だ。
去年は知識なく行ったのだが
梅園の場所により梅の種類が違っていたので、今年は「南高梅」を中心に大きな青梅のみ収穫してみたので去年よりも良い梅干しができそうである。ちなみに入場料無料。梅1キロ450円なのだ。
追熟してくると部屋の中がうっとりするほどの完熟梅の香りになる。1年に1度のお楽しみ。この香りのために梅干しを毎年作っても良いかもと思ってしまうよ。
黄色に色づいたものから収穫して、ヘタを取って焼酎で洗い塩漬けで。もちろん今年もジップロックで。<=手軽だし、小分けに塩漬けにできるので今のところ我が家の梅干し作業に適してると思う。
昨日塩漬けしたものも梅酢が上がり始めた。全部で5袋できそうだ!
あと一袋で追熟終了だよ!と伝えたら
じゃあ、今週末もう一回梅狩りに行くぞ!
・・・え?
昨日私が買って来た富士急のパンは?
キタ!
富士急はねー、もう、かなり前にないんだよー。でも言わない。
ハムパンか!あの幻のハムパンか?ついにあのパンがわかるのか!
と期待しつつも質問しても詳細パン情報は返ってこない。。。くぅ。
昨日富士急に行って買ったパン!どこ?と。
そして。お約束。
数分後にまた富士急のパン、幻に。どんなパン買ったのよ。母さん。ああ、気になる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
徳島にいる友人がGWに帰宅していて、昨年送った鯖の美味しいやつを自分でも徳島から注文していて、帰省して、
工場にも行ってみた!
と連絡をくれた。
まだ人生で美味しいものに感動することがあるんだ!
って送った時に感想をもらっていたけれど、その後も通販したり、工場にも行ってみたりしてくれたんだなぁ
と驚いたけど、美味しいもんね。あの鯖。
嬉しいな。
友人も色々ある。みんな色々あるのだ。。
また会ってお茶とかご飯とかお酒とか飲んで寛いで話してお互いの奮闘を称えたる日がきて、美味しいものとかを勧めあいたいな。
3年ぶりに帰ってくるのにPCR検査とかも自主的にしたそう。すごい。お母さんも高齢だもんね。実はきめ細やかな、そういうとこが小学生のところから変わらないと思う。
4月は母、心臓のペースメーカーの寿命がきて、入院、手術、退院、プラス、入院前検査、入院前PCRチェック、術後状態確認などなどぎゅうぎゅうなスケジュールで頻繁に医療センターに通った。コロナだから手術の日も会えないのかな?と思っていたら、手術中フロアの食堂で家族は待機できて、術前、術後は本人と会話もできた。術後運ばれて来た母は待っていた私を見て「辛かったー、痛かった」と泣いた。看護師さんが「娘はいる?家に帰りたい」とずっと言ってたのよと苦笑していた。ともかく無事終わってよかった。入院前は不安で精神状態が不安定になったり、退院後は私への依存度マシマシになったりであったが、ここ数日はようやく安心して落ち着いてきたような気がする。入院中足腰が弱って立てなくなったりしたらどうしようかと思っていたけれど、短い入院期間だったからそれもなかった。前回2013年のときは8日間ほど入院したけれど、2022年の今回は3日。次回は日帰り手術くらいに医療が進歩してるのかな。2031年?うわー未来。母94歳か。
そちらは落ち着いたが、10年間母がお世話になった脳外科の先生が5月いっぱいで引退されると術後の脳外科受診で知った。びっくりしていたら、
あれ?言ってなかったっけ?僕ね、ここ開業するとき75歳で引退するつもりだったんだけどね、気がついたら77歳になってしまったよ。僕の後には優秀な先生が来るから心配しなくて大丈夫だよ。
先生77歳だったのか。先生の「僕のね」とか「僕はね」と言うの、もう聞けなくなるのか。寂しいな。。。
ぎっくり腰もようやく治り、無意識椅子から立ち上がれるって実はすごいことだったのねと痛感。
ぎっくり腰の状態で母の世話をするのはまぁ。大変だった。私の方が誰かの介護が必要なんじゃ?という状態の時間帯があったよ。はは。
でもなんとかなった。ありがたやー。
家で過ごす時間も変わらず多し。
今日は早いうちに御墓参り(2つのお寺さん)を済ませて、コロナ渦になってから行ってなかった美容院についに行って、バッサリ髪の毛を切ってきた。美容師さんが全くこんなあれこれ起きる時代が来るなんて信じられないわと嘆いていた。ちょっと興奮して話しながらザクザクと切っていくので、ま、それでもいいかと見守っていたら、思いの外短くなった。^^ 首が出てるのでスースーする。家人には「え?なぜそんなに?ワカメちゃん・・・」と絶句された。
またご近所さんからもらった文旦の皮はまたもピールにして、おやつにいいのだ。
母の布団を干すべくベランダに出て布団をホイツと持ち上げた時にギクっと。。。
歩いているときはそれほどでもないが、リモートワークでデスクワーク数時間、椅子から立ち上がる時 あうーーー $#!!!*[ @?+[ (T o T) ——– !!!! な痛み。
階段昇降や母のトイレを手伝う時の屈伸動作の時の痛みもなかなかなテイスト。。。
侮れないぞギックリ腰。。。
ディサービスの母のお見送りとかお迎えとかの私の謎の動作の違和感で、ディサービスのスタッフさんが心配してくれる。母がこの子ギックリ腰なのよーとしっかり報告(汗)さすが介護のプロ、私にも
大丈夫ですか?何かあったらお声がけくださいね。と。
優しい言葉が染み入る。
車の運転(というか乗り降り無理!)がしんどいので、家の中に引きこもり、腰をかばい超スロー動作で調理、冷蔵庫にあるもので母のお昼ご飯を回す。混ぜてオーブンに入れるだけなのは楽だー。夜は家人が色々買ってきてくれた。ありがたやー。
いや、でも、今日はきのうよりも楽な気がする。早く普通に椅子から立ち上がりたいなー。
もう新年も半月経ってしまって、昨夜は突然の津波警報でびっくり起きたが、
お正月はただただのんびり。紅白も見たし、母と恒例の箱根駅伝の応援をした(テレビでね)。
コロナの毎日にもすっかり慣れてしまった。
オミクロンが落ち着けば少しは以前のように気軽に友達にあったりご飯を食べに行ったりできるのだろうか。。
コロナの世界になってから、家人とのみ外出している。すでに老後の夫婦のようだがこれはこれで気楽で良い。
今年初小さな梅園散歩にも行ってみた。菜の花も所々で咲いていた。白梅はまだ少なかったけれど蝋梅や紅梅が良い香りだった
母と竜にもおすそ分け。良い香り。
*********
お正月2日に小学校-高校まで一緒だった友人が
2年ぶりに家族で帰省してた!これから東京に戻るけど家の前通るから顔だけでも見せてくれたら嬉しいな!
とメッセージが来て、家にいるよーと返事をして、数分後、ご家族で我が家の前に止まってくれた。旦那様も美男美女のお子さん達も、友人も元気そうで
(コロナが)終わったらまたゆっくり会おうねー♪
とハグして約束した。未来の楽しみができた。
去年は短大時代の友人2人の娘ちゃん達の結婚もあった!あの友人たちのお子さん達が結婚なんて!なるほど年取るわけだ。。そして皆お子さん達を立派に育ててて、育てあげてて、ほんと偉業だ!
と思う2022の年初め。
最後の晩餐は絶対「お寿司」な私である。
ずっと私が大好きだった魚屋さんはコロナ禍前にお店を閉まった。
何十年も活躍していた冷凍庫が壊れて、「ああ、もうこれで終わりでいいね」って思って。と言っていた。本当に長年姉妹でお魚関係でお世話になったので
「これからどこで美味しいお魚買えばいいのーーーーー?」
であったが、きっと身軽になってやりたかったことをやれているだろう。それは良かった。でも、特にシメサバ、あん肝、絶品だったな。もう食べられないのか。ぐすん。
その後はなんとなくスーパーとかのお刺身を食べたりしていたが、何か違っていて、食通の方にお勧めを聞いたりしたりもして、近場で美味しいお店を探していた。コロナ禍は家人と美味しい肉魚野菜を探す禍!でもあったな。(ん?まだ禍?なのかな。)
ちょこちょこあちこち試して野菜も肉も新しく美味しいものを扱うお店が見つかった。探すのも楽しかった。
魚屋さんは新たに3件の新規開拓をした(全部隣町遠なのだが)。コロナ禍でなければ知らなかっただろうお魚屋さんたち。干物屋さんも新しく開拓した。というか隣町の魚屋さんに地元の美味しい干物屋さんを逆輸入で教えてもらった。家から近いところに工場があった。本当にとても美味しかったので、遠くにいてなかなか帰省できないよと言ってる友人などに沼津の味、実家近くにこんな美味しいのあったと送ったところ「この年齢でまだ感動できる食べものと出会えるんだって感動した!」と喜んでくれていた。良かった。彼女が毎年送ってくれるスダチともマッチしてたから、来年はスダチのタイミングで送ろうか。
母はずっと肉より魚が好きだったのだが、ディサービスで創作「魚料理」が多いらしく(ちなみ今日は鰆のコーン餡がけなるものだったそうだ)
夕飯は魚はイヤ!
という。かたいものは食べられないので、柔らかく作ったハンバーグやクリームコロッケなどを作ると喜んでたくさん食べてくれる。^^ 母の分と仲良しのご近所のOさんの夕飯を一緒に作って毎日届けている。とにかく何か食べられるものがあれば食べてくれれば良いといろんな種類を盛るようにしている。Tさんの野菜が大活躍。ありがたい。血液検査でも母の栄養状態はいつも良いのでこのペースでいいのだろう。時々全否定で食べてもらえない時もあり凹むがそれは私が「美味しいのにな・・・」と自己満足食べているので無駄にはしてない!ぞ。
今週はこんな感じであった。私は半熟の煮玉子が好きで得意だが、母や家人やOさんは固茹で煮卵の中華風が好きなのだよ。ああ。
11月。。とは。。。
あっという間に毎日過ぎて行く。本当にあっという間。
基本的には同じルーティンをこなしている。母の世話を中心に、仕事をして、家事を(手抜き)して、のんびり過ごしている。
休みの日には母のお昼寝タイムに家人と近所をぶらぶらドライブと買い出し。お気に入りの田舎のスーパーや産直やお刺身の美味しい魚屋さんや肉屋さんを巡って買い出しなど。
コロナ渦ピークの時は控えていた母のディサービスも週3になった。今日はいつの間にか母が、腕時計と指輪(母の結婚指輪と大きな石がついたおもちゃのような指輪)をディサービスに持って行くトートバックに入れていて、私はそれには全く気づいてなくて、そのままディサービスに行かせてしまった。夕方ディサービスのスタッフ方から
貴重品が入っていたので、ご家族に直接お返しします
とお知らせ頂いて驚いた。これは和ダンスの一番上にしまってあった母の指輪と時計。
いつの間に、、どうやって、、これに尽きる。
これらを取るために和ダンスのところまで行って、扉を開き、一番上の引き出しを開けてと、、色々ハードルがあったはずだけど謎だ、可能なのか。。。可能だからあるのだけど。。。。むむむ。
そして本人全てを覚えてない。お約束。これを用意するのために私がいない間にあれこれ動いているとき転倒しなくてよかった。それに尽きる
今日のおやつは母の好きなバナナケーキはどんどんバナナ多めに。。メープルシロップとシナモンもたっぷりで甘すぎるくらいのがお好み。本当はくるみとかレーズンも入れたいけど、母は硬いものがNGになってきているので断念。
これとココアの組み合わせを出すとすごく喜んで食べてくれる。もう好きなものを好きな量食べて欲しいと思う。以前は健康を考えたメニューやたくさん食べて欲しいと願ったりしてたけどもう食べたいものを食べたい量だけと思う。
朝、母とディサービスのお迎え待ちで家の前で座っていたら、乳母車を押した見知らぬ女性が母の方にニコニコとやってきて
「おばちゃん、私、魚屋の次女のタカ。覚えてる?」
と話しかけてきて、聞くと家の前にあったスーパーの中の魚屋さんの娘さんだそう。
「東京にお嫁に行ったのだけど、介護のためしばらく前に実家に戻っていたんだよ。」
とのこと。私は全く覚えていなくて(私たちよりもひと回り上の年齢だそう)母も最初思い出せなかったのだが、タカさんは母のことを覚えてくれたのが嬉しそうだった。乳母車のワンコだち(高齢なのだそう)も可愛くて、少し話していたら、タカさんのお母さん、魚屋さんの奥さんの煮物は絶品だった!と母の記憶も多少冴えてきた。良い再会ができた朝。
おばちゃん、ずっと元気でね。またね。
と言ってくれた。ありがとう。