日曜日

ご飯を食べたかどうか、昼か夜か、今日はいつ(何曜日か)?わからないことは不安だろう。でも一番の不安はやっぱり。。生理的なこの問題は高齢者の永遠のテーマなのかも。私がずっと探していた優しい「心」は自己弁護なだけで、必要なのは別のことだったなと思う今日この頃。母が欲しいのは、投下される「優しい言葉」ではなくて「気づかない」こと(振りではなく)だな。・・・・なかなか難しい。大根女優にもなれない。ちぇ。白玉を作り茹で小豆を冷やしてアイスを乗っけてのど自慢を見ながら並んで座って食べた。安心して昼寝をする母の寝顔を見てもう少しまだ頑張ろうと思う。