友人から連絡があり突然彼女の義母さんが介護状態になり、トイレの失敗が続き今朝からずっと洗濯をしている(涙)という。ご主人が慌ててオムツを買いに行っているというので追加で防水シート(2枚)、オムツ用尿取りパッド、使い捨てゴム手袋、お尻拭きウェットシート、マスク、もしポータブルトイレを用意するならポイレット(ネットでしか見かけない)を用意しておくといいかもと伝えた。子育てもしているから色々経験済みな彼女でもやはり我が子とのそれとはちょっと違うらしい。我が母も昨日は同じ様にまたトイレのことで混乱していて私も洗濯三昧なきのうであった。雨よ去れ、太陽カモーン。ディサービスに行っている間は本当に素晴らしくしゃっきりちゃんとしているが家にいると横になって眠ったり起きたりしているので寝ぼけて夢と現実が混ざって色々な妄想が本当のことに思えたり、日常の動作も忘れてしまってそれで焦って混乱して変なことをしてしまうようだ。薬の量もまだ合ってない(私の責任だ)のでもう少し繊細に調整せねば。トイレのことで嫌な思いをすると「じゃあ、出さないために食べない」という決意をしてこっそりゴミ箱や流しの排水にご飯や薬を捨てて体重が減り35キロまでになり立つこともできなくなってしまった(排水も詰まった)苦い経験があるのでそれは避けたいからこちらはこんなこと何てことないふりをして粛々と片付けるべし。(いや、うそだ、できない時も多々ある)。きのうもそんな感じで何度かあれこれあったが、お昼ご飯と食後のチョコレートケーキ、夕飯とスイカも美味しかったと完食していたので安心した。優しい気持ちからではなく全部自分のための安心である。老いた母に対する無知と無駄な期待が絶望感と悲しみを作った日々だった。他のお家で効果があることも我が家には当てはまらないこともかなりあるので自分で失敗から学ぶしかないことに気づくのにも時間がかかってしまった。ヘルパーの資格を取るときに「受容の心」を習ったが、10年以上の母との日々で誰かのお世話を身近でするということは結局それにつきるとわかった。その間ずっと自分の中のどこかには優しい天使の心があるに違いないと探したけれど結局それは見つからなかった(天使はいないともう諦めた)。老母はもう変わらないから自分が変わるしかないのだとお世話の技術としての受容の心はちょっとは鍛えられたのかもしれない。あとは褒めること。親に対して、そんな嘘くさい気恥ずかしいと思っても褒めること「よく食べたね」「すごいね」「上手にできたね」「嬉しいよ」「ありがとうね」でかなり我が母は頑張ってくれるとわかった。そして母を褒めることで自分もちょっといい人になった気持ちになり救われる(?)。まぁ日々状況が変わるのでまたこれも変わるのだろう。あちこちの機能低下や新たに加わる病気は容赦く突然やってくる。これからもトライエラーキャッチ(プログラムで言うところの)を繰り返して、まぁ、私がまだできると思えるところまで頑張ろう。ある日突然放り出すかもしれないが。。。。でもまだできると思う。